兵庫県までぶらっとツーリング♪
2009年4月17日に仕事で怪我(脊髄損傷)をしてから今月17日で11年になり時が経つのは本当に早いと感じます。
今も昨日のことのように怪我したときのことを鮮明に思い出すことが出来ます。
新型コロナが蔓延していますが気分転換しようと思い自粛要請が出る前にぶらっと兵庫方面を走ってきました。
朝来市の和田山駅前にある福廼家総合の幻の駅弁が食べたくなりぶらっとカワサキで♪
『但馬の里 和牛弁当』
2009年4月17日に仕事で怪我(脊髄損傷)をしてから今月17日で11年になり時が経つのは本当に早いと感じます。
今も昨日のことのように怪我したときのことを鮮明に思い出すことが出来ます。
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朝来市の和田山駅前にある福廼家総合の幻の駅弁が食べたくなりぶらっとカワサキで♪
『但馬の里 和牛弁当』
最近よく厄除けの弘法大師ゆかりの立木観音に登っています。約800段・・登った経験のある人達からは大変やで・・
登った人のブログに書いている内容読んでも俺には無理かな?と思いましたがどんな感じなのか一度登ってみようと思い登りましたが・・大変ではない!!(20分くらい)
正直言って病院でのリハビリのほうが数倍キツイです。
そういう大変なことを体験(もう二度とあの地獄のリハビリはやりたくない・・)しているので周りが大変だと思うことでも楽に感じるのだと思います。
人生チャレンジだ!!!うひゃ♪
今月の17日で受傷して3年になりました。今は週1回の加圧トレーニング(筋力を落とさず維持するため)と時間があればジムにトレッドミルで1時間ほど歩きに行ってます。
加圧トレーニングでバランスを取る訓練をしていますが、さすがに受傷して3年も経つと麻痺で動かず残された少ない筋力でも脳が体の使い方(バランスの取り方)を学習してそれなりにバランスが取れるようになってきています。
加圧トレーニングすると左側のお尻が筋肉痛になるのでまだここは上手くやればもう少し鍛えられバランスが取りやすくなるのではないかと思っています。
私の場合受傷して3ヶ月経っても麻痺が全く取れず、機能回復はしているように思えなかったのでリハビリしている時に、これから先も麻痺は取れず機能回復はしないだろうなと感じていましたが・・・悪い意味で当たっていましたね。
機能回復するのならば受傷して半年くらいまでに機能回復してくるのが自覚できるのではないかと思います。
半年経った後は残された機能、筋肉を鍛えてその体の使い方を数年かけて学習していく。。これが今の脊髄損傷リハビリのやり方ではないかと思います。(今の現代医学では脊髄損傷は治らない)
まあ一生リハビリと付き合っていかなければならないのがメンドクサイですが・・
去年4月に受傷してから1年半が経ちました。毎月1回検診に音羽病院に行っていますが今年3月まで診てもらっていた主治医が奈良の病院に転勤で4月から違う先生に診察してもらっています。
前の主治医には骨が固まりさえすればボルトを抜いてもいいと言われていた。
レントゲンを見る限り骨が固まってきているので先月の検診で12月にボルトを抜いてほしいと相談したら抜いてもあまりメリットがないと言って抜きたがらない様子・・・異物なので抜いてくれと頼むと・・
1週間後に電話で「他の先生に相談したら一度CTを撮って骨の固まり具合を見てから12月に手術するか決めます」と言われ先月29日にCTを撮り見たら(今までなぜか見せてもらったことがない・・)
明らかにズレた状態で固定されているのが素人目でも分かりました・・最初見た時にズレていたので去年の4月の受傷時に撮ったCTと思いましたが撮影日時を見ると10月29日になっていました・・・
主治医は「まだこの状態(骨が固まってない)では抜けないな・・今抜くと痛みが出る可能性がある・・他の先生と相談して連絡します」と言われ今月2日夜に連絡があり「他の先生と相談したらまだ1年ほど置いてからにしたほうがいい」と言われました。
受傷して来月で1年6ヶ月になります。
今は、週3回の医療リハビリ、プール、加圧トレーニング、鍼灸、漢方を続けています。
リハビリの先生が言うには「7%くらいしか機能していないかな~3年後にはリハビリが上手くいけば機能回復30%がMAXかな」と言われています。
30%で何ができるのか聞くと「今よりもバランスが取りやすくなるけど地面を蹴って歩くことは難しいかな~」地面を蹴って歩くには最低でも60%機能が回復しないことには難しいらしい・・健常者は普段60%の力を使い日常生活を送っています。
プールの深い場所で浮力を使ってつま先立ちしようと思っても踵が1ミリも浮かない・・(ふくらはぎの筋肉がなく底屈できない為)
去年の4月17日は大変な1日でした。午前10時20分頃溶接作業中300キロの鉄製品が倒れ下敷きになり脊髄損傷。(くの字に押しつぶされ、顔が完全に地面についていた)
このブログを書いている去年の今頃は手術の準備のために待っていたと思います。一瞬で押しつぶされ背骨が折れたと感じました。
大変な事故に巻き込まれたと思いましたがなぜか不思議で(でも立てるな・・)焦りがなく意識もしっかりしていて逆に息を止め死んだふりをしていました。
顔からも出血が酷く下には血だまりが・・「佐藤!佐藤!」と専務が声を出していて顔を叩かれていましたが死んだふりしいるのです!と今更言えるわけがなく・・叩かれるのが嫌だったので息を吹き返したように演じていました(笑)
事故後の記憶もすべてあり溶接している最中だったので溶接面を被って周りの状況が見えていなかったのが逆に良かったのかもしれません。
周りが見えてる状態で事故にあっていたら・・と思うと怖くなります。
来月で受傷して1年になります。リハビリも相変わらず頑張ってます。
受傷したとき色々な人達に支えられ人間は一人では生きていけないと感じさせられました。
今まで自分のために時間を使ってきたので他の人に時間を使うのもいいかもしれない・・と受傷した時から思っていました。
ボランティアでも自分のできる範囲で何ができるのか?とずっと考えていました。
リハビリに主治医からは2年と言われてますがリハビリの先生には最低3年と言われています。
継続は力なり・・とは簡単には言えますがこれがなかなか難しいものでして・・・
今は杖一本で歩けるまで回復しましたがまだまだ先は長いです・・
バイクも大型に乗れるようになりましたので今年の夏頃からはバイクで全国旅に出て陶芸の里を訪ねて行きたいです。
本日30日に退院します。4月の受傷から6ヶ月半に及ぶ入院リハビリ生活も長いようであっという間に時は過ぎたように感じます。
春に受傷して夏が過ぎもうすぐ紅葉の時期に入ろうとしています。当初はどこまで回復するのか分からず不安はありましたが・・
リハビリに最低2年と言われ長く感じましたがもう四分の一が過ぎました。
退院したら外来リハビリではなく、プールとトレーニングマシーンのある施設を利用しての自主トレになります。
相変わらず麻痺が取れずに毎日時間あればお祈りしています。
この病院のリハビリの先生には脊髄専門センターで仕事をされていた30年のベテランのドン小西先生がおられます。
たまに担当のOTの先生の代わりに見てもらってますが・・とにかくキツイ・・だけど先生は今まで見てきた患者の中では私の根性、バランス感覚はトップクラスだと言ってます。
当然でしょ!と言ってますが今は独歩もやっております。
先生は普通第五腰椎破裂骨折でトレッドミルであれだけ勾配あってスピードが出ていてると歩けないけどよくついていけてると思う・・。
と感心されていますがやらなければならないしバイクをいつまでも待たせるわけにはいかないのです。本当に体力があって良かった・・